代表挨拶
ごあいさつ
ラムトリックカンパニー代表の竹田と申します。こんなところまで読んで頂ける方は少ないと思いますが、ラムトリックカンパニーのこと、私のことなどをお話ししてみようと思います。
ラムトリックカンパニーは1983年10月、私竹田と他2名の共同出資という形で個人事業としてスタートしました。事業の目的は自社ブランドのギター・ベースの製造販売でしたが、最初から十分な収益が得られる見込みもありませんでしたので、並行してヴィンテージギターなどの販売店舗「シール・ロック」を東京高田馬場に開店し、ギター修理の仕事も含め、いろいろなことをしながらなんとか事業を継続しました。その後高円寺のギター・ショップ「ミュージック・ジャンク・ショップ」の経営を知り合いから引き継ぎましたが、このジャンク・ショップは1986年に、シール・ロックも2000年にそれぞれ別の知人に譲渡してしまいました。事業も安定してきた1987年、有限会社として法人登記し、2014年に株式会社となって現在に至ります。
私竹田は大学在学中に都内の楽器卸売会社で、フェンダー製品のアフター・サービスの仕事をアルバイトとして始め、ギター・クラフツマンとしての基礎はこの時期に学びました。大学卒業後、そのままその会社に就職。引き続きフェンダーの仕事をしつつ、営業の仕事もさせて頂いたので、多少の営業ノウハウや業界内でのさまざまなつながりを得ることができました。その会社に2年ほど勤めた後、レンタル・スタジオを始めたいという友人の誘いで、その計画に参加することになりました。その友人の家族が所有するビルにスタジオを作り、関係者はそのビルに住み込んで生活するという、今考えてもわくわくするような話です。もちろん細かい問題はいろいろ起きましたが、この2年ほどの期間は今までの人生の中でもっとも楽しかった時期のひとつです。スタジオ受付の裏の工房で、ギターの製作を始めたのもこの時です。前職時代に知り合ったギター・メーカーの営業マンから必要な部材を仕入れ、合計で20本くらいは製作したでしょうか。同時にそのギター・メーカーに週1で通い、嘱託でアフター・サービス業務をしていました。そんな時期を経て、1983年にラムトリックカンパニーを設立することになります。
ラムトリックカンパニーの基本理念は「誠実な仕事をする」ことに尽きます。2023年10月には創業40年となりますが、これだけ続けてこられたのは誠実な仕事をしてきたからだと思っています。しかしその誠実さ故なのか、バブル時代にもその恩恵を十分に受けられなかったのが心残りです(笑)。ギターを含む楽器の世界では「音の良さ」という数値化しにくいものが中心にあります。客観的な検証がほぼできないため、イメージが先行してしまい、広告などで「言ったもん勝ち」的なところがあります。もちろんすべてがウソなわけではありませんが、そのイメージにだまされて、なおかつだまされていることにすら気付いていない楽器ユーザーがたくさんいることは非常に残念なことです。そんな人を少しでも減らしたいと思っていますが、啓蒙活動はなかなか実を結びません。しかし少なくともラムトリックカンパニーのお客様はそうではないと、自信を持って言えるような仕事をしていきたいと考えています。
これまでの仕事を通じて、私は数冊の著書を出版する機会に恵まれました。2022年8月現在入手可能なものは、リットーミュージック刊「エレクトリック・ギター・メカニズム-New Edition-」、「エレクトリック・ベース・メカニズム」、「マイ・ギター・チューンナップ」、「ベース・マガジン・メインテナンス・ブック」、「ギター・マガジン・メインテナンス・ブック」、シンコーミュージック刊「ストラト・オーナーのためのギター潜在能力覚醒マニュアル」、「レスポール・オーナーのためのギター潜在能力覚醒マニュアル」(以上2冊は以前弊社に在籍していたこともある今井康雅氏との共著)です。これら以外にも雑誌に執筆した記事が収録された特集本なども多数出ています。幸いなことに、これらの本は異例のロング・セラーとなっているそうです。一生懸命読んだために傷んでしまい、2冊目、3冊目を買って頂いたという読者の方のお話も聞いています。前述のように曖昧な部分の多いギターの世界ですが、私は文章を書く上では科学的客観性を堅持しているつもりです。もちろん音楽には鋭い感性が必要です。その感性は科学的客観性とは対極にあるものかも知れません。しかし相反するものではないと考えています。むしろ感性を正しく表現するためにこそ、科学的客観性が役立つのではないかと思っています。そのような考え方を評価して頂いているのであれば、私としても至上の喜びです。
ラムトリックカンパニー代表
竹田 豊